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新しい視点で活動する 洗足学園短期大学同窓会

お悔やみCondolence

会報から 本会ゆかりの方のご逝去を掲載しています ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします

石川治子先生
洗足学園大学名誉教授であられた石川治子先生が23年(令和5)11月8日にご逝去なさいました。97歳でした。1926年(大正15年)生まれ、東京都出身。安川加壽子氏に師事。東京音楽学校(現東京藝術大学)卒業後、山形大学教育学部(現山形大学地域教育文化学部)を経て、開学当初の洗足学園短期大学音楽科、洗足学園第二中高(現洗足学園高校)音楽科に着任。1966年大学教授に昇格。主にピアノ奏法研究を担当されました。音楽教育コースや幼教科などの音楽実習など幅広い分野も担当され、学科を限らず多くの学生の指導にあたられました。他学校の役員等も歴任され、また学外の指導者としてもご尽力されました。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

神原陸男先生
洗足学園音楽大学名誉教授・洗足こども短期大学幼児教育保育科元科長であられた神原睦男先生が22年(令和4)8月28日にご逝去なさいました。77歳でした。神奈川県出身。東京学芸大学大学院音楽教育研究科修士課程修了。都立高校教諭、NHK学校音楽コンクール審査員(東京)、東京都教育委員会指導主事、公立中学校校長を歴任後、2000年(平成12年)に本学に着任。音楽学部教授を経て、2004年(平成16年)本学短大幼教科長に就任。主に音楽科教育法、教育実習指導、総合芸術などの科目を担当。短大科長時には学生ウインドバンド(吹奏楽団)の創設、ミュージカルの初演など他校との差別化、教育内容の充実にご尽力なさいました。主な著書「音楽科における「感性の育成」の意義I」「音楽科の教育理念-音楽科の構造化のための序論」「音楽教育における不易と流行-音楽教師の在り方を求めて-」(共著)など多数。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

川名佑一先生
洗足学園大学名誉教授であられた川名佑一先生が23年(令和5)2月19日にご逝去なさいました。90歳でした。東京藝術大学声楽科卒業。声楽以外に指揮法も学び、数多くのオペラに出演する一方、二期会合唱団の常任指揮者として演奏会、NHK芸術劇場などで活躍なさいました。本学には、開学当初の洗足学園短期大学音楽科に助教授として着任。また開科初期の短大幼教科の合唱指導なども担当されました。80年に短大音楽科長に就任。合唱音楽研究所所長にも就任され、明治初期からの合唱曲を分析データベース化するなど学術的に貴重な業績を重ねられました。学外では卒業生の団体のみならず数多くの合唱指導をなされ、地域文化発展にもご尽力なさいました。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

永森忠治先生
洗足学園短期大学元教授 英文科長であられた永森忠治先生が22年(令和4)5月12日にご逝去なさいました。90歳でした。東京都出身。東京大学卒業。卒業後神奈川県立高校の英語科目担当として教職に就かれました。県立鎌倉高校校長を経て、92年(平成4年)、本学英文科に着任されました。95年(平成7年)英文科長に就任。英文講読、教科教育法、英米文学思潮、数理科学概論、翻訳法などを担当。スピーチコンテスト、イングリッツシュパフォーマンスなど学内の行事等も担当され、英文科の発展にご尽力なさいました。02年(平成14年)退職。正六位受賞。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

松尾篤興先生
洗足学園大学名誉教授・声楽家であられた松尾篤興先生が22年(令和4)3月13日にご逝去なさいました。86歳でした。福岡県出身。東京芸術大学進学後、二期会会員合唱団、NHKうたのおにいさん等を経て69年(昭和44年)、講師として着任されました。75年(昭和50)十文字学園女子短期大学助教授。83年(昭和58年)本学教授になられ、歌唱研究、短期大学幼児教育科の音楽分野の担当もされ、学科を限らず多くの学生の指導にあたられました。二期会公演、NHK、東京室内歌劇場などのオペラ出演多数。在職中より、藤沢市民オペラなど、地域文化発展にもご尽力なさいました。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

牧阿佐美先生
洗足学園音楽大学特別教授であられた牧阿佐美先生が21年(令和3年)10月20日にご逝去なさいました。87歳でした。東京都出身。舞踊家、振付家、指導者として日本のバレエ界を先導しました。2015年本学バレエコースの開設に際し、アドバイスをいただき、その後も特別教授としてバレエコースの充実発展にご尽力なさいました。99〜2010年新国立劇場舞踊芸術監督。紫綬褒章(96年)、フランス芸術文化勲章シュバリエ(04年)など受章多数。21年文化勲章受賞。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

馬場昇先生
洗足学園短期大学元教授であられた馬場昇先生が21年(令和3)8月22日にご逝去なさいました。86歳でした。神奈川県出身。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業。卒業後神奈川県立高校の英語科目担当として教職に就かれました。県立和泉高校校長を経て、95年(平成7年)、本学英文科に着任されました。英文講読、英文学史、英米文学作品研究を担当。スピーチコンテスト、英語コーラス、イングリッツシュパフォーマンスなど学内の行事等も担当され、英文科の発展にご尽力なさいました。03年(平成15年)に退職後も本学卒業生や県立高校時の卒業生らとも交流を続け、慕われていました。瑞宝小綬章受賞。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

秋山鴻市先生
洗足学園音楽大学名誉教授であられた秋山鴻市先生が21年(令和3)3月18日にご逝去なさいました。77歳でした。富山県出身。東京芸術大学卒業後、読売日本交響楽団などを経て、NHK交響楽団に入団。89年(平成元年)客員教授として着任、06年(平成18年)に教授。トロンボーン奏者としての活動の他、吹奏楽指導者としても各団体の音楽監督など活躍されました。90年とやま賞を受賞。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

築地文夫先生
洗足学園音楽大学名誉教授であられた築地文夫先生が20年(令和2)7月22日にご逝去なさいました。87歳でした。秋田県出身。59年(昭和34)東京芸術大学卒業。畑中良輔氏に師事。第31回日本音楽コンクール第2位入賞。「リゴレット」のスパラフチーレでオペラデビュー。フィガロの結婚、セビリアの理髪師、邦人作品「俊ェ」「有馬の息子」「黄金の国」、藤原歌劇団、二期会、NHK、新国立劇場のオペラなど出演多数、映画「第20作 男はつらいよ 寅次郎頑張れ!(77年)」「椿姫(88年)」などにも出演されました。本学には開学間もない洗足学園短期大学音楽科に講師として着任。66年(昭和41)専任講師。67年(昭和42)助教授。76年(昭和51)教授。声楽・歌曲歌唱法・オペラ実習などを担当され、多くの学生の指導にあたられました。市民オペラにも出演・指導されるなど地域の音楽文化貢献にもご尽力なさいました。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

栗本尊子先生
元洗足学園音楽大学教授・声楽家であられた栗本尊子先生が19年(令和1)1月22日にご逝去なさいました。98歳でした。福岡県出身。東京音楽学校(現 東京芸術大学)卒業後、46年(昭和21)に「蝶々夫人」のスズキ役でデビュー。以来バロックから現代作品、邦人作品、日本初演の作品など、数多くのオペラ公演で主要な役を務め、90歳を過ぎても舞台に立ち続けました。平成29年度文化庁長官表彰。本学には開学間もない洗足学園短期大学音楽科に講師として着任。73年(昭和48)教授に就かれ、多くの学生の指導にあたられました。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

常森闘志先生
元洗足学園音楽大学教授 洗足学園音楽大学名誉教授であられた常森闘志先生(79歳)が令和1(19)年6月20日にご逝去なさいました。先生は、講師として70年(昭和45)に着任。04年教授に就かれました。主に声楽講座(合唱法、発声法)を担当され多くの学生の指導にあたられました。また合唱指揮者、指導者として市民合唱団の指導、合唱団の創設など学外の活動にも精力的にご活躍されました。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

谷川忠博先生
元洗足学園大学教授・作曲家であられた谷川忠博先生が令和1(19)年7月18日にご逝去なさいました。83歳でした。第34回日本音楽コンクール(64年)の作曲部門第2位入賞。講師として開学(67年)間もない洗足学園大学に69年(昭和44)に着任されました。音楽研究(作曲実習 音楽理論)を主に担当され、多くの学生の指導にあたられました。またかわさき市民オペラの台本作曲を手がけるなど地域の音楽文化貢献にもご尽力なさいました。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

菊地原文市先生
元洗足学園短期大学英文科長であられた菊地原文市先生が平成29(2017)年8月20日にご逝去なさいました。92歳でした。先生は、神奈川県立相模原高等学校教頭、校長を歴任さ昭和61(1986)年本学に着任されました。平成4(1992)年科長代理 平成6(1994)年科長に就かれました。主に英文購読の科目を担当されました。この間英文科の留学システムの拡充、充実やカリキュラムの充実に努め、英文科の発展にご尽力なさいました。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

武石とも子先生
大学名誉教授であられた武石とも子先生が平成28(2016)年9月29日にご逝去なさいました。89歳でした。先生は、開学間もない本学短期大学に着任され、当初は主に音楽教育を担当されてました。昭和43(1968)年教授になられ、平成9年3月の退官まで、多くの学生の指導にあたられました。全日本ピアノ指導者協会(ピティナ)理事なども歴任され、指導者育成のためにもご尽力なさいました。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

富田悌二先生
大学名誉教授であられた富田悌二先生が平成28(2016)年9月1日にご逝去なさいました。80歳でした。先生は昭和36(1961)年東京藝術大学卒業。東京交響楽団入団。昭和38(1963)年、開学間もない本学短期大学に着任されました。昭和59(1984)年助教授、昭和62(1987)年教授なられ、多くの学生の指導にあたられました。日本トランペット協会常任理事、日本ブラスバンド指導者協会顧問 全国吹奏楽コンクール審査員なども歴任され、吹奏楽発展にもご尽力なさいました。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

浅賀千江子先生
大学名誉教授であられた浅賀千江子先生が平成28(2016)年4月22日にご逝去なさいました。先生は桐朋学園大学卒業。講師として本学に昭和52(1977)年着任され、その後永く学生の指導にあたられました。後年は私設のスタジオを開設するなど、地域に根ざした音楽活動もされていました。

野畑百合先生
大学名誉教授であられた野畑百合先生が平成28(2016)年3月3日にご逝去なさいました。85歳でした。先生は東京芸術大学卒業、その後開学当初の短期大学音楽科に着任されました。昭和41(1966)年に助教授、昭和53(1978)年に教授になられ、専攻を問わず多くの学生の指導にあたられました。その他学生サークル団体の学友会会長、退職教職員の会の役員などを歴任され学園の発展にご尽力されました。

杉岡保宗先生
元洗足学園第一高等学校校長 杉岡保宗先生が平成27(2015)年3月26日にご逝去なさいました。80歳でした。先生は神奈川県立川崎高等学校校長などを歴任後、平成9(1997)年に本学に着任されました。平成13(2001)年に教頭、平成15(2003)年に第一高校の校長に就かれました。その間、創立80周年をむかえ、第一高校の英語教育を中心とするカリキュラムなど、新しい教育システムの導入にご尽力なさいました。

喜島慶一郎先生
大学名誉教授、元理事であられた喜島慶一郎先生が平成26(2014)年7月5日にご逝去なさいました。88歳でした。先生は昭和42(1967)年に本学に着任。主に体育(保健体育)を担当なされ、学部学科を問わず多くの学生の指導教授にあたられました。大学教務関係の要職もされ、学園の発展にご尽力なさいました。日本バレーボール協会の理事や会長代行もなされ、バレーボールの発展にご尽力なさいました。平成18(2006)年瑞宝中綬章受賞。

北園英二先生
本学元教授 高校元教諭であられた北園英二先生が平成26(2014)年4月30日にご逝去なさいました。86歳でした。北園先生は昭和36(1961)年に附属高校に着任。教科は主に化学を担当なされ、また生活指導係や生徒会の担当をなさいました。その後短大大学に移られ、自然科学概論、環境科学、情報科学などを担当なされ、多くの生徒・学生の指導教授にあたられました。学生相談室の開設、講義計画書(シラバス)の作成立案、短期大学25周年記念誌の発行委員など学園の節目、発展にご尽力なさいました。

村田修子先生
洗足学園大学附属幼稚園元園長 本学短期大学元教授であられた村田修子先生が平成26(2014)年4月11日にご逝去なさいました。91歳でした。大学では音楽リズム、保育領域健康を主に担当なさいました。村田先生は昭和16(1941)年東京女子高等師範学校体育科(現お茶の水女子大学)入学、戦後昭和21(1946)年から昭和61(1986)年までは付属幼稚園(現お茶の水女子大学附属幼稚園)で教諭、教頭をされました。その間、本学幼児教育科(現幼児教育保育科)開設当初から講師として小児体育、音楽リズム等の科目を担当され、昭和61(1986)年からは本学附属幼稚園園長、教授として就かれ、多くの学生の教授、指導をされ、また講習会講座の指導講師をされました。

上埜 孝先生
大学名誉教授、打楽器奏者であられた上埜孝先生が平成25(2013)年7月15日にご逝去なさいました。78歳でした。先生は武蔵野音楽大学卒業後、日本フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団の打楽器奏者として歴任。平成3(1991)年本学教授に就任なさいました。主に打楽器演奏法、吹奏楽を担当され、多くの学生の指導教授にあたられました。作曲・編曲、指揮者としてご活躍され多くの作品があります。市民吹奏楽団、一般大学吹奏楽部の指導にもご尽力なさいました。

野口眞代先生
本学短期大学名誉教授であられた野口真代先生が平成24(2012)年11月22日にご逝去なさいました。69歳でした。専攻は教育社会学・生涯学習論。教育原理を主に担当なさいました。野口先生は昭和44年(1969)年お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修士課程修了、その後道灌山専門学校などを経て、76年本学に着任され、多くの学生の教授、指導、県内外の幼稚園保育園の指導講師をされました。他に女性学、生涯学習の論文、著書多数。本会では、講座講師の他に、平成4(1992)年から沼舘正尾先生とともに相談室の講師を担当され、学科を問わず多くの卒業生の拠り所となりました。

秦 志郎先生
大学名誉教授、テノール歌手であられた秦志郎先生が平成24(2012)年7月5日にご逝去なさいました。79歳でした。声楽、ソルフェージュを主に担当なさいました。先生は東京芸術大学を卒業後、留学。その後東京芸大講師などを歴任されました。本学には昭和43年(1968)年に着任され多くの学生の教授、指導にあたられました。

高橋孝太郎先生
洗足学園中学高校教諭の高橋孝太郎先生が平成24(2012)年5月30日に急逝なさいました。64歳でした。高橋先生は昭和50(1975)年洗足学園大学(現・洗足学園音楽大学)を卒業し、その後、本学中高教諭として着任されました。主に音楽科目を担当、進路係、吹奏楽部の顧問など、多くの生徒の教育、指導にあたられました。神奈川県吹奏楽連盟理事長、東関東吹奏楽連盟副理事長など各役員もされ、県内外の吹奏楽の発展にご尽力なさいました。

鈴木敬介先生
元本学客員教授 オペラ演出家であられた鈴木敬介先生が平成23(2011)年8月22日にご逝去なさいました。77歳でした。鈴木先生は、「ワルキューレ」「魔笛」「夕鶴」など多くの作品の演出を手がけられ、日生劇場の芸術監督も務められました。83年にサントリー音楽賞、01年に芸術選奨文部科学大臣賞、02年に紫綬褒章、08年に旭日小綬章を受賞されました。本学には、85年に客員教授として着任され、その後本学公演の作品の演出指導をなされ、多くの学生の教授にあたられました。

村上洋一先生
洋画家 タイ国立シラパコーン大学名誉教授 元第一高校教諭 本学教授であられた村上洋一先生が平成22(2010)年10月10日にご逝去なさいました。86歳でした。村上先生は昭和28(1953)年、復興間もない第一高校教諭として着任されました。その後、開学間もない短期大学に着任、その後の大学の開設にもご尽力なさいました。美術、絵画制作等を担当され、多くの生徒学生の教授にあたられました。94年に退職後も外遊や個展を重ね、「村上洋一作品集」を刊行するなど精力的に活動を続けられました。現在−過去−未来の連続性をテーマとしての創作、永年の国際文化交流の功績を称えられタイ国立シラパコーン大学より名誉教授の称号を授与されました。

深町 純先生
作曲 編曲家 元本学 教授であられた深町純先生が平成22(2010)年11月22日にご逝去なさいました。64歳でした。先生は日本の電子音楽の草分けであり、シンセサイザーを使い多数のアルバムを発表しました。89年〜96年まで本学教授、音楽工学研究所長(シンセサイザー)として、多くの学生の教授にあたられました。

飯島 武先生
元理事、洗足学園第一高等学校校長、洗足学園第一中学校校長、洗足学園大教授であられた飯島 武先生が平成20(2008)年2月19日にご逝去なさいました。99歳でした。飯島先生は、早稲田大学卒業後、早稲田中学・高等学校校長を歴任、昭和50(75)年からは洗足学園第一中高校長としてご尽力なさいました。その間短大大学でも教養科目、教職科目等を担当され、多くの生徒学生の教授にあたられました。近年は紙工作の作品集も手がけ昨年には「紙でつくる動物たち」(雄鶏社)を出版されました。ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします。

宍戸睦郎先生
大学名誉教授、元本学大学音楽学部長、元短期大学音楽科長であられた宍戸睦郎先生が平成19(2007)年02月03日にご逝去なさいました。78歳でした。宍戸先生は、81年から短大音楽科 大学音楽学部の教職に就かれ、多くの学生の教授にあたられました。95年から99年まで大学音楽部長、短期大学音楽科長として、ご尽力なさいました。作曲家としても著名。作品は「交響曲」「鍵盤のための組曲」 合唱組曲「奥鬼怒伝承」など多数。

寺島尚彦先生
元本学大学音楽学部教授であられた寺島尚彦先生が平成16(2004)年03月23日にご逝去なさいました。73歳でした。寺島先生は、85年 本学へ着任され、短大幼児教育科、大学音楽学部と多くの学生の教授にあたられました。作曲家、作詞家としてもご活躍なさいました。作品は「さとうきび畑」、「楽しいね」など多数。

戸田邦雄先生
元本学大学音楽学部長、短期大学音楽科長であられた戸田邦雄先生が平成15(2003)年7月8日にご逝去なさいました。87歳でした。戸田先生は、77年本学へ着任され、多くの学生の教授にあたられました。77年から88年まで大学音楽学部長、81年からは学校法人洗足学園評議員また86年から短大音楽科長として多くの学生の教授にあたられ、洗足学園の発展にご尽力なさいました。

清野澄夫先生
元本学大学音楽学部副部長・教授であられた清野澄夫先生が平成15(2003)年2月11日にご逝去なさいました。主に音楽教育専攻の科目を担当され、多くの学生の教授にあたられました。88年から93年まで大学音楽学部副部長として、ご尽力なさいました。

河邊 杲先生
本学元幼児教育科長であられた河邊杲先生が平成14(2002)年6月27日にご逝去なさいました。82歳でした。河邊先生は、78年 本学へ着任され、多くの学生の教授にあたられました。担当科目は主に保育原理。89年から91年までは幼児教育科長としてご尽力なさいました。

荒井光男先生
元理事、洗足学園大学附属第一高等学校元校長であられた荒井光男先生が平成14(2002)年2月15日にご逝去なさいました。75歳でした。荒井先生は、大学附属小学校校長、大学教授も歴任され、多くの児童、生徒、学生の教授にあたられ、洗足学園の発展ためにご尽力なされました。

門馬直美先生
本学大学名誉教授であられた門馬直美先生が2001年09月06日にご逝去なさいました。76歳でした。門馬先生は81年、短大音楽科 大学音楽学部の教職に就かれ、多くの学生の教授にあたられました。83年に図書館長、88年から95年まで短大音楽科長 大学音楽学部長としてご尽力なさいました。音楽評論家、ドイツ・ロマン派以降の研究者としてもご活躍なさいました。著書に「ブラームス」、「ベートーヴェン」など多数。

沼舘正尾先生
元大学附属幼稚園長、元本学教授であられた沼館正尾先生(94歳)が平成12(2000)年8月14日に逝去なさいました。沼舘先生は昭和24年、洗足学園幼稚園に主事として就任、昭和30年から園長として多くの園児の保育にあたられました。小学校主事、寮監、評議員として本学園の発展にご尽力なさいました。また教員として開学当初から多くの学生の指導にあたられました。その間、半世紀以上にわたる保育、保育者養成の業績によって数々の表彰を受けられました。昭和56年からは名誉園長として在学生、卒業生のご指導、ご助言をされ「大園長先生」として多くの方から慕われました。平成4年からは同窓会の相談室の講師をなされました。

前田祥子理事
前田壽一理事長先生の妻、前田祥子理事(46歳)が平成11(1999)年8月13日に逝去なさいました。お別れの会は9月3日に前田ホールにて執り行いました。

瀬下良夫先生
元本学英文科長、教授であられた瀬下良夫先生(84歳)が平成10(1998)年7月25日に逝去なさいました。瀬下先生は昭和54年、短大英文科の教職に就かれ、多くの学生の教授にあたられました。また昭和55年度から昭和60年度までは英文科長としてご尽力なさいました。

西郡政一先生
元本学英文科長代理、教授であられた西郡政一先生(76歳)が平成10(1998)年7月13日に逝去なさいました。 西郡先生は昭和40年、短大英文科開学当時から教職に就かれ、多くの学生の教授にあたられました。また平成元年度からは英文科長代理としてご尽力なさいました。

大里洋子先生
本学教授、ソプラノ歌手であられた大里洋子先生が平成9(1997)年6月9日にご病気のため、逝去なさいました。65歳でした。大里先生は昭和37年から洗足学園で教職に就かれ、開学間もない短大でご尽力なさいました。リサイタルなどのほか、本学内で開催される演奏会に出演、ご活躍されるなど多くの学生の教授にあたられました。

菊池百合先生
本学教授であられた菊池百合先生が平成7(1995)年12月12日にご病気のため、お亡くなりになりました。58歳でした。菊池先生は平成3年から専任教員として本学幼児教育科に就かれました。学生の教授のほかにも各地の講習会や学習会に講師としてご活躍なさいました。同窓会では平成4年、5年に講師としてお迎えしました。

三室岩吉先生
元本学教授、英文科長であられた三室岩吉先生が平成7(1995)年11月20日にお亡くなりになりました。79歳でした。三室先生は昭和52年から平成元年まで本学英文科で教職に就かれました。昭和61年からは英文科長として英文科の充実をはかり、多くの学生の教授にあたられました。

坂元彦太郎先生
元十文字学園女子短大学長、元本学幼児教育科長、元お茶の水女子大教授であられた坂元彦太郎先生が平成7(1995)年2月4日、肺炎のためお亡くなりになりました。坂元先生は戦後、文部省初等教育課長などを歴任。六三制学制改革の原案を作り、幼稚園教育を学校教育法の中に位置付けました。学校での視聴覚教育の草分けとしても知られています。昭和47年4月から55年3月まで本学幼児教育科長として在任され、学生の教授にあたられまた幼児教育のためにご尽力なさいました。その後、十文字学園にうつられました。同窓会では平成元年8月に講演会の講師としてお迎えしました。

内田安久先生
元洗足学園短期大学教授、幼児教育科長、元お茶の水女子大学教授であられた内田安久先生が平成7(1995)年2月25日、肺炎のためお亡くなりになりました。96才でした。内田先生は昭和39年(1964年)から洗足学園短期大学で教職に就かれ、開学問もない短期大学のためにご尽力なさいました。昭和45年(1970年)から2年間幼児教育科長として幼児教育科の基礎を築かれました。その後も教職課程を担当され、短大、大学と多くの学生の教授にあたられました。ここに謹んで哀悼の意を表します。

前田豊子先生
洗足学園理事長であられた前田豊子先生が平成4(1992)年10月21日に心不全のためお亡くなりになりました。前田先生は昭和3年に日本体育会体操学校女子部(現日本体育大学)をご卒業、洗足学園高等女学校教諭として教職に就かれその後、昭和24年からは、学校法人洗足学園理事長として六十余年、学園一筋に尽力され、今日の隆盛を築かれました。

各欄はその年度の会報に掲載されたもの(一部)を転載しました ご逝去を悼みご冥福をお祈りいたします

洗足学園短期大学同窓会

〒213-0011
神奈川県川崎市高津区久本2-3-1

TEL 044-865-3330